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![]() ![]() 豊後大野 堀昭夫 2010/08/24~2010/08/24 |
8月24日、「内山観音・千体薬師堂」の仏達を撮り続ける。
やはり時間的に早めに来たのがよかったようだ。
レリーズ持参の影響もあるかと思うが、やっと<千体薬師像>や<薬師如来像>をある程度シャープに撮る事が出来た。
これなら拡大しても大丈夫だろう。
日中ということで、参拝者も時々お堂に入ってくる。
出来るだけ彼らの邪魔をしないように、通路を空けながら撮影に集中する。
静かで穏やかな時間が過ぎてゆく。
2時間ほど撮って満足し、M駅へと引き返す事にしたのだが、この時間にはバスは無い。
やむを得ずタクシーを呼ぼうと「内山観音」そばの電話ボックスに入ったのだが、この電話は壊れていた。
それでは、と電話の使える場所まで歩こうとしたのだが、途中の食堂らしき建物は全て閉まっていて、暑い中結局駅近くまで30分ほど歩くハメになってしまった。
携帯電話は持っているが、余り好きではなく持ち歩かないのだが、こういう時困る。
今時電話ボックスが使える場所など限られているのだから、今後は持ち歩くしかないのだろうなあ。
ちなみに私は未だに携帯でのメールやカメラ機能の使い方も知らないのだが・・・。
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![]() ![]() 八女・筑後・船小屋温泉 ドクターキムル 2003/03/08~2003/03/08 |
岩戸山古墳に隣接して大神宮が鎮座している。岩戸山歴史資料館よりも古くから、しかも岩戸山古墳近くにある。詳細は不明ではあるが、岩戸山古墳に密接に関連した神社であるようだ。
(表紙写真は大神宮鳥居) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 桜井・三輪 めくっぺ 2010/08/29~2010/08/29 |
写真で見て、一目惚れしてしまった、長谷寺の登廊。
猛暑の中でしたが、この登廊を上りに、山の奥へと訪ねて参りました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 氷見 たくじ 2009/09/18~2009/09/19 |
富山県氷見市の隠れた名勝光久寺を秋真っ盛りの9月に訪れました。氷見市は富山の呉西にある漁業の盛んな港町ですが、港だけではなく隠れた風情ある名勝もあるものだと関心しました。江戸時代に作られた回遊式庭園で加賀藩(現在の石川県)に仕えた造園師の庭だそうです。訪れたときは人も少なく自慢の庭園をじっくり眺めることができ堪能しました。 ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 平泉 YOSHITO 2010/08/31~2010/09/01 |
JTBの人気の東北ツアー“中尊寺・角館・奥入瀬 2日間”
に参加。夏休みも終わる8月末に東京駅に集合した旅人
はなんと85名。2班に分かれて行動。
東京から仙台までは新幹線利用。仙台からは2台の観光
バスで北上。1日目は平泉の中尊寺へ。その後は更に
東北自動車道を北上して秋田県の角館へ。夕刻には田沢
湖経由して宿舎の雫石高倉温泉へ。
宿は旅館ではなくプリンス・ホテル。
2日目は更に北上して青森県へ。十和田湖畔を経由して
奥入瀬渓流の散策。およそ1時間ほどを歩く。
帰りは青森から仙台へと長丁場のバス旅行。2日間で
1000キロ超と言う。
東京駅には夜10時半近くに到着。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 勝沼・塩山 hoto 2010/08/29~2010/08/29 |
はやぶさ温泉から徒歩で恵林寺へ向かいました
塩山駅で入手したパンフレットに掲載された回遊式庭園が見たくなって…
●○●恵林寺●○●
来て大正解!!! 京都を思わせる美しさ~感無量です
◎庭園は、なんと京都・西芳寺(苔寺)を手掛けた高僧であり
作庭の名手でもあった夢窓国師による築庭~
日本庭園好きの海外の友に見せてあげたい!!! Wunderbar!!! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 鎌倉 Hisashi。 2002/04/04~2002/04/04 |
今日は関東遠征最終日。
横浜のユースをチェックアウトして、まずは鎌倉の大仏さんを見に。
JRの鎌倉駅で江ノ電に乗り換え、長谷で下車。
鎌倉大仏は、高徳院清浄泉寺にあります。
奈良の大仏と違って、大仏殿がありません。
野ざらしの阿弥陀如来像は結構な迫力。
国宝に指定されています。
再び長谷駅から江ノ電に乗り、一路江ノ島へ。
<2002年犬山・東京・神奈川旅行全行程>●:この旅行記の位置
3月31日 名古屋空港出迎え
4月1日 名古屋→犬山→名古屋
4月2日 名古屋→東京→横浜
4月3日 横浜→東京→ディスニーランド→横浜
4月4日 ●横浜→鎌倉→江ノ島→箱根→小田原→名古屋
4月5日 名古屋空港見送り
宿泊:
実家(名古屋)
横浜ユースホステル(横浜) ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 山口市内 ドクターキムル 2007/02/19~2007/02/19 |
山口県山口市香山町にある瑠璃光寺は曹洞宗の寺で保寧山瑠璃光寺という。本尊は薬師如来である。元々は大内氏の家臣・陶(すえ)弘房が主君・大内政弘と共に応仁の乱で戦い、応仁2年(1468年)に京都で戦死したが、夫人の仁保氏がその霊を弔うために文明3年(1471年)に建立した安養寺が起源である。その後、寺領が狭いため隣山に寺を建て、弘房の持仏・薬師如来を移し、安養寺を廃して保寧山瑠璃光寺と号した。天正14年(1586年)、吉川元春の逝去の折、瑠璃光寺が霊牌所となって一時寺名を変えた。
五重塔は大内義弘が建立した香積寺(こうしゃくじ)の遺構であり、応永の乱で討伐された大内義弘(1356年~1399年)の霊を祀るために弟の大内盛見(もりはる)が嘉吉2年(1442年)に建立した。その後の慶長9年(1604年)、香積寺は毛利輝元と供に萩に移ったが、その跡地に、元禄3年(1690年)瑠璃光寺の名に復帰して移された。この国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する。また、香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。
(表紙写真は瑠璃光寺五重塔) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 宮島 ドクターキムル 2007/02/17~2007/02/17 |
安芸宮島にある五重塔は厳島神社のもので、明治維新後の神仏分離令で仏教色が一掃された。応永14年(1407年)に建立され、国の重要文化財に指定されている。朱塗りで檜皮葺きの屋根の反りが美しい五重塔である。丘の上の狭い敷地一杯に建ち、カメラに収めるのは大変だ。
(表紙写真は厳島神社の五重塔) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 宮島 ドクターキムル 2007/02/17~2007/02/17 |
千畳閣は広島県廿日市市の厳島神社境内にある建造物である。桁行41m、梁間22m、単層本瓦葺入母屋の木造の大経堂である。豊臣秀吉が戦没者の霊を弔い、千部経の転読供養をするため天正15年(1587年)に発願し、安国寺恵瓊に建立を命じたが、太閤秀吉の死により未完成のまま現在に至っている。 明治時代に秀吉公と加藤清正公が祀られ、現在は、厳島神社末社豊国神社(とよくにじんじゃ)の本殿となっている。
入母屋造りの大伽藍で857畳の畳を敷くことができ、軒瓦には金箔が押してあることから完成していれば、さぞや豪華な桃山文化を取り入れた大経堂になっていたと思われる。千畳閣は400年を経ても解体修理するほどは傷んではいない。太閤秀吉存命中の建立であることから、手を抜いていないことが伺い知ることができよう。しかし、浜側と山側では柱の浸食が異なり、浜側の柱には潮風による摩耗が顕著に見られる。
(表紙写真は千畳閣) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 宮島 ドクターキムル 2007/02/17~2007/02/17 |
広島県廿日市市の沖の宮島にある厳島神社は世界遺産となっており、古くから安芸の宮島は松島、天橋立と供に日本三景として知られている。厳島神社の創建は、推古元年(593年)、佐伯鞍職によると伝えられる。平安時代後期の仁安3年(1168年)には、佐伯景弘が厳島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で結ばれた海面浅瀬の洲浜に建つ海上社殿を造営し、本殿以下37棟の本宮(内宮)と、対岸の地御前に19棟の外宮が設けられた。
社殿の柱は木地が見えない。柱に布を巻き、固めたその上に朱塗りしているからだ。神職に、「社殿の柱は皆桧ですか?」と尋ねると、「大部分は桧だと思いますが、桧以外の木もあるようです。」とのことだ。海水や潮風に晒される社殿の柱の構造は他で見る神社社殿の柱とは異なるのだ。また、床板もしっかりと固定されている訳ではなく、潮が異常に高くなると、外れて流れるようになっている。かつて巨大台風に襲われて床板が流されたことが伝えられた。1400年の長きに渡り鎮座しているお社だけにノウハウが詰まっているようだ。
(表紙写真は厳島神社) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 宮島 ドクターキムル 2007/02/17~2007/02/17 |
大願寺の開基は不明であるが、建仁年間(1201年~1203年)の僧了海が再興したと伝えられる真言宗の古刹である。正式には亀居山方光院大願寺と言う。明治の神仏分離令までは厳島神社の普請奉行として寺院の修理・造営を一手に担い、千畳閣、五重塔、多宝塔などから形成される厳島伽藍の中心をなしていた。
寺の秘仏厳島弁財天は弘法大師空海の作と伝えられ、日本三弁財天の一つとされる。神仏分離令によって厳島神社から遷されたこの厳島弁財天をはじめ、宮島に現存する仏像の中で最も古いとされる木造薬師如来像(重文)、千畳閣の本尊だった木造釈迦如来坐像(重文)、その両脇を守っていた阿難尊者像と迦葉尊者像(ともに重文)、五重塔の本尊だった三尊像、多宝塔の本尊だった薬師如来像、護摩堂の本尊だった如意輪観世音菩薩などを収蔵している。
最近(2006年)、明治初頭の神仏分離令で損失した護摩堂を約140年ぶりに再建した。
(表紙写真は大願寺山門) ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() しまなみ海道周辺 ドクターキムル 2006/06/18~2006/06/18 |
大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、瀬戸内海の大三島(愛媛県今治市大三島町宮浦)に鎮座する神社であり、大山積神を祭神とする日本総鎮守であり、全国の山祇神社、三島神社の総本社である。国宝8件、国の重要文化財75件(2008年現在)を有し、天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」がある。
山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社である。源氏、平家をはじめ多くの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、国宝、重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割がこの神社に集まっている。神社側では国宝の甲冑の8割があるというがそうかも知れない。古代から甲冑、刀剣は奉納されて来ているが、弓矢は少ないのには驚く。ほんの一角に集められてあった。刃こぼれした刀剣が国宝や重文の指定を受けていたが、戦勝祈願で参拝し、勝利した暁にはお礼参りで戦に使用した刀剣や甲冑をそのまま奉納する方が理に適うというものだ。上野にある東博(東京国立博物館)では刃こぼれした刀剣を見たことがなく、新鮮に感じられた。
また、直前に大山祇神社に寄ることにし、バス時刻を調べるために松山駅の乗り換え時間で時刻表を入手して、特急電車で追いかけて追い着き、乗ったバスが大型観光バスのタイプで、ベイブリッジのような橋が連なるしまなみ街道を1時間余り揺られながら、島々に寄り、途中からは運転手と2人だけの貸切状態が結構続き、特急バスは今治港バスターミナルでトイレ休憩があるために遅くなることなど、東京・横浜では経験できないことも多くあった。
(表紙写真は大山祇神社神門) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 宇佐・豊後高田 ドクターキムル 2006/06/17~2006/06/17 |
大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮は全国に4万社あまりある八幡様の総本宮である。八幡大神(応神天皇)(一の御殿)、比売大神(二の御殿)、神功皇后(三の御殿)をご祭神にお祀りし、725年に創建された。本殿の一の御殿、二の御殿、三の御殿の3棟は国宝建築物である。大鳥居や門、回廊、摂社などの社殿は明るい朱塗りなのに対し、本殿の朱塗りは黒ずんだ朱塗りである。
6時を回って、境内には参拝客も居らず、本殿は参拝できなかったが、広大な境内は想像以上であった。古くは弥勒寺という神宮寺があったが、廃仏毀釈により取り壊され、礎石のみが残っている。大神神社の神宮寺跡のように広大なものと思い込んでいたから、神宮寺跡が以外に狭かったので驚いた。また、境内端の寄藻川に架かる屋根付きの木橋である呉橋(くればし)が印象的であった。
(表紙写真は宇佐神宮) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 長野 hhb00102 2010/08/27~2010/08/27 |
直江津を出まして、長野へ。善光寺にお参りして、今日は長野で泊まっていこうかな。
昔々、友人に連れられて長野に来た事は有り、善光寺も立寄ったはずですが…あんま記憶に無いんで、ゆっくりお参りさせていただきましょ。
11:54 直江津
↓ (信越本線)
13:29 長野 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 出雲大社 さおり 2010/08/11~2010/08/11 |
恋がしたーーーーーーーい!!!!
と、嘆いていた2010年夏。
百何十年ぶりかの猛暑に加えて、この乾ききった大学院生活。
毎日大学の研究室と家との往復に嫌気がさし、ふと気がつけば「そういえば今年は、花火も海もBBQも旅行も何もかも予定がない!」と気づき、慌てたものの時既に遅し。
長く付き合ってた彼氏とは半年前にさよならしたばかり。
そう。相手がいない…!
ということで、神頼みしに、島根まで行って参りました。
いや、ホントのこと言うと、友達に片道3時間の道のりを運転してもらって、私は助手席で優雅に音楽を楽しむっていう楽チン旅行でした。
良い人に巡り会えますよーーに!と、大国主命(オオクニヌシノミコト)を祭る「出雲大社」と、素盞嗚尊(スサノオノミコト)と櫛稲田姫(クシナダヒメ)を祭り、恋占いが出来る鏡の池を有する「八重垣神社」を巡る豪華2本立てコース。
どちらも、縁結びで有名な神社です。
今のところまだご利益は現れていませんが、焦らずのんびり結果を待とうと思います。
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![]() ![]() 亀岡 鴨川の夕立!(Shower of Kamogawa) 2007/08/24~2007/08/24 |
引き続き高雄から西明寺の夏をお送りします。
槇尾山西明寺
もとは神護寺の別院として創建されましたが
現在は真言宗大覚寺派に属します。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 鎌倉 ドクターキムル 2008/03/~2010/04/ |
本興寺は日蓮宗の寺院で、法華山本興寺と称する。日蓮辻説法の跡地のひとつとされ、「辻の本興寺」とも呼ばれている。小町にある日蓮上人辻説法跡は古くから整備され、石碑も多くの建っているが、ここ大町にある本興寺の入り口の真新しい朱塗りの山門の前にも、「日蓮大聖人辻説法之旧地」の石碑が建てられている。しかし、知る人は少ないであろう。
夏には、本堂前のサルスベリが見事な花を咲かせることで知られているが、実は、春にも鎌倉の寺院では数少ない紅枝垂れ桜が咲く寺である。しかし、今年(2010年)は桜見に行ったら本堂が工事中であった。こうなると背景が背景で紅枝垂れ桜も見られるものではない。
JR横須賀線の踏み切り脇には辻薬師堂が建っているが、これは本興寺の管理である。かつてはこのあたりで道路が交わっていたのであろう。また、踏み切り傍に建つ「鉄道轢死之碑」も本興寺が明治42年に建立したものである。
(表紙写真は本興寺本堂前の紅枝垂れ桜) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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![]() ![]() 豊後大野 堀昭夫 2010/08/24~2010/08/24 |
8月24日(火)、又もや「内山観音」へと向かう。
前に2度訪ねているのだが、「千体薬師堂」の仏像達の描写がイマイチ甘く、納得できなかったので、リベンジと言う事になる。
果たして3度目の正直となりますやら・・・。
最初の訪問時は、一脚しか用意していなかったし、2度目はレリーズを用意していなかった。
夕刻の撮影だったので、シャッタースピードが遅くなり、やはり思った以上に手ぶれの影響が出てしまったようだ。
このブログの大きさではさほど目立たないと思われるが、拡大すると気になってしまう。
と言う事で今回は14時にはローカルバスで「千体薬師堂」に到着し、余裕を持って撮影に臨んだ。 | |||
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![]() ![]() 輪島 ドクターキムル 2009/05/02~2009/05/02 |
總持寺は、かつて永平寺と並ぶ曹洞宗の修行寺として栄えてきた。今から約7百年前元亨元年(1321年) 瑩山紹瑾禅師によって開創された。その後、明治31年(1898年)の大火で多くを焼失し、本山はここ石川県輪島市から神奈川県横浜市の鶴見へと移された。現在は諸嶽山總持寺祖院と言い、曹洞宗大本山總持寺祖院として、焼失を免れた経蔵、伝燈院、慈雲閣などが境内にたたずみ、七堂伽藍も再建され、威厳と風格を今に伝えており、大本山のおもかげを偲ばせる幽玄な寺になっている。
鶴見の總持寺には、もうこの方20、30年は行っていないだろう。鉄筋コンクリート製の伽藍が多く建ち並ぶ寺は全く趣がないからだ。それでも鶴見の總持寺にも国の登録有形文化財が増えてきた。移転(明治44年(1911年))から100年近くが経ち、当時のものが指定を受けるようになったのであろう。
永平寺も行くと入り口周辺の鉄筋コンクリート製の建物が見に入り、がっかりしてしまう。しかし、中に入ると木造建築の伽藍が建ち並び、その事を忘れさせてくれる。その点、ここ總持寺祖院は全て木造建築の伽藍が並び、私が期待する寺の雰囲気を醸し出している。地震で柱がずれたままではあったが、やはり、古刹は木造建築の伽藍でなければ雰囲気が出ない。
(表紙写真は總持寺祖院山門) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() | |||
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